亡国の世迷言 マラゴニア王国

マラゴニア王国は架空の国。マラカスの妖精マラゴンが治めている。

努力が必要な時は、努力がやってくる。

自然体で生きる、肩に力を入れないでしなやかに生きる、執着を捨てありのままを受け入れる。

 

それをするのに、努力は必要ない。

 

ただ掴んでいたものを手放せば良いだけ。

 

努力しても、しなくても、出来る事は出来る様になるし、出来ない事はただただ出来ない。

 

何かを成すには、時に努力が必要な事柄はたくさんある。

 

しかしその努力ですら、自然に心の内側から出るに任せるのが、自然体ではなかろうか。

 

あるがまま、努力する事すら、ありのまま。

 

そして結果がどうあれ、それに拘らないのが、ありのまま。

必要最低限

経済の話に耳を傾けると、今世界には金が溢れていると言う。

その割には、自分の所にお金が廻って来ないなぁなどと嘆いている人も多かろう。

しかし世界的に低金利政策が行われている現状を鑑みると、強ち気のせいって訳ではなさそうだ。

もう少し掘り下げて観ると、溢れているはずのお金が市中に出回っていない現実にブチ当たる。

何て事はない、多くの人が掴んだお金を手放さないのだ。

確かにある程度は、予備の資金を手元に置いておこうと言う気持ちは解る。

しかし闇雲に貯蓄額を増やし、じっと使わずに持ち続ける事は余り賢い選択ではないと思う。

「銀行にお金を預けても、小遣いを出しませんよ」って言うのが、前述の低金利政策の話しに結びつく。

それでも多くの人が掴んだお金を手放さないのは、不安だからだ。

漠然と何の身の保障もない、この生活が不安なのだ。

お金を沢山持っていると言う事だけが、唯一その不安を解消してくれるものと信じて疑わない。

しかしそうした一人一人の不安の為に無駄に貯められたマネーが、体に付いた脂肪の如く醜く世の中を蝕んでいく。

本来豊かさを享受出来るであろう人々が貧しい生活を強いられ、今豊かな人々も必要以上にセキュリティを強化しなければならない現状下に置かれる。

何とも本末転倒な話しではないか。

ある程度歳を取り先が見えそうな歳になってもまだ将来を悲観し、お釣りが束になって返って来そうな程大量の貯蓄を、使い切らないままこの世を去って行く人もいる。

いやいやそんな人が沢山いるから、金余り現象が起こる。

何も貧しい生活をしろとは言わない。

ある程度ゆったり暮らせる資金数ヶ月分だけ貯金し、後は投資するなり人生を謳歌する事にお金を使ってはどうだろう。

今よりほんの少しでも良い、この不均衡を無くす為に貯蓄の見直しを私は勧めたい。

 

 

情けは人の為ならず

『情けは人の為ならず』この諺の意味として以前私は、誰かに親切にしたりするとその人を甘やかす事になるから、結果その人の為にはならない、だから余り手助けとかしない方が良いと言う風に解釈していた。

しかし実際の意味は、誰かに親切にしたりすると、自分の人徳が上がり自分が得すると言う意味になる。

損得勘定を持ち出すと、言葉の重みが半減するので適切ではないだろうが、ニュアンスとしてはそんなところだろう。

実際『徳』を積めるのかどうかはわからないが、人に親切にする事が、その人の不利益になるとする解釈が幅を利かせているのは事実であり、体育会系的なしごきが美徳とされる風潮がそれに拍車を掛けている事は事実だろう。

だから私は敢えて言いたい、人に親切にすればやがて巡り巡って自分に返ってくる。

そんな心構えの人が少しでも増える様に。

体育会系的なしごきが美徳だと思うのも、人に親切にすればやがて巡り巡って自分に返ってくると思うのも、実はどちらも何の保証もないただの観念である。

しかし敢えてそれを言うのは、そっちの考え方の方がワクワクするからである。

 

 

 

 

ワクワクする事がないって?

ワクワクする事をしようと言われても、ワクワクする事が思い付かないとか、わからないとかそんな話しをよく聞く。

案外今それをしているのだけれど、それがワクワクだと気が付いていない場合だってあるかも知れない。

仕事の合間に飲むお茶だったり、携帯ゲームだったり。

気分転換に何かをする事だって、充分ワクワクだったりするのだ。

きっとワクワクと聞いて壮大な心踊る様な事を想像しているかも知れないが、まずはこんな小さな楽しみでも改めて注意深く診てみるとワクワクだと言う事に気付こう。

しかしそれですらマンネリ化してると思うなら、お茶の種類を変えるなり、違うゲームをダウンロードするなり変化を持たせるだけで随分と気分は変わるものだ。

問題は『そんなホッとする余裕もないわ』って言う事なら、何か手放せる事、辞めてしまっても大丈夫な事をまず探す事だ。

人は習慣化してしまった事はなかなか変えられないが、笑顔が消え正気がなくなってまでする様な事は、身体や精神にとって毒でしかないと言う事に気が付くべきだと思う。

そうしてホッとした瞬間何気にやり始めた事、例えば体を動かす事だったり、鼻歌を口遊む事だったりしたならば、それこそがワクワクのヒントに繋がる。

鼻歌を口遊む事だったら、カラオケに行く事かも知れないし、何か楽器を演奏する事かも知れない。

カラオケだったとして、一人じゃなぁと何かと言い訳をしてしないのでは意味がない。

ワクワクの為なら、恥をかいてでもやるべきだ。

嫌、そもそも恥でもなく、そう言う観念を捨て去った方が良い。

残念ながら、恥ずかしいとか何かと自分に言い訳をして、ワクワクを黙殺している人を見かける。

人生を楽しもうと言う姿勢は、自分も他人も豊かにする事だと思うのだが…

 

大人って何?

『人は何歳で成人するのか?』一応日本では、20歳で成人と呼ばれる。

つまり20歳で大人になる訳だ。

何となくこの数字を皆受け入れているが、世界を見渡すと必ずしもそうでない。

各国の成人年齢も、実に様々。

また日本の色んな基準を見ても、酒やタバコは20歳からだが、ギャンブルや性風俗の利用は18歳から認められている。

選挙権も18歳からになった。結婚は女子は16歳から出来るし、働ける様になるのも16歳からだ。

そもそも20歳と言う数字はどうして決まったのか?

この辺りを境に、身体的成長が止まり老化に転じるからだろうか?

身体の成長も概ね18歳位で男も女も止まる。

だから20歳とは何ぞや?となる。

選挙に立候補出来るのは、25歳から。

参議院は30歳から。

20歳ならまだ若すぎる?大人じゃない?

では子供を作れる身体になるのは、こっちで見ると男も女も大体13歳辺りから可能になる。

子供を作れるのかだから、もう大人ではないのか?

余談だが、子作りは身体の負担から見ると特に女性は、10代後半から20代が望ましいと言われる。

昨今の晩婚化は、繁殖向きではないのだ。

話しは逸れたが、大人とされる年齢も時と場合により、結構バラツキがある様に思える。

さて、ではもう少し別の角度から見てみよう。

精神的に成熟つまり大人と言えるのは、一体何歳からだろうか?

さっきの参議院に立候補出来る様になる、30歳からだろうか?

これには『神との対話』と言う本の中で、60歳位が相当だろうと書かれている。

また随分な提案だなぁと当時は驚きもしたが、強ちそれ位が丁度良いのかも知れない。

しかし人間本来の寿命が120歳位と言われている事を鑑みると、80歳位が妥当かも知れない。

でもそう言うと現在の平均寿命に近くなるので、真っ当な大人がいなくなってしまう。

そもそも本来の生存可能年齢より若くして寿命が尽きてしまうのは、まだまだ人間が人生を謳歌出来ていない証拠かも知れない。

 しかしただ年を重ねれば自動的に、成熟した大人になれるのか何て言うのはもちろん違う。

『成熟』ってどう言う事だろう?

敢えて言えば己の身の丈を理解して、それに合った暮しをして行ける事なのではないだろうか。

 

 

マラゴニア王国というタイトルについて

タイトルと記事内容が余りに不釣り合いで驚かれた読者もおられると思うので、改めてこのブログの成り立ちを書いておこうと思う。

(つい勢い余ってマラゴニア王国を宣伝してしまった為、急遽詳細を書く事にしました。)

まず私のハンドルネーム、マラゴンの説明から。

以前スピリチュアルな活動をしていたのだが、その時友人の元に、子供達相手のイベントの依頼が来た。

楽器奏者の友人は、子供相手のイベントを企画する事に困り、私に相談をして来た。

彼は私以外にも別の楽器奏者一人、それと絵本の読み聞かせをする人にも声を掛けたと言った。

話しは進み、この四人が集まる事となった。

ただ子供を癒せる何かをやってくれそうと言う期待だけの人選だったのだが、集まったメンバーを見て私は、直感的に一座を作り上げる事を思い付いた。

もちろん私は脚本家でもなければ、役者でもない。

ただ集まった人達が良い味を出していたので、思い至ったのだった。

皆ズブの素人ではあったが、皆を妖精に見立てて、絵本の読み聞かせをメインに、生演奏と戯けた口調のキャラクター達の和気藹々とした芝居を演出する事が出来た。

私は当初脚本のみの予定だったが、急遽芝居に駆り出され、マラカスなら出来るかもとマラカスの妖精を演ずる事になった。

そのマラカスの妖精が、マラゴンだった。

結局このメンバーでのお芝居は、この一回で終わってしまったのだが、いつしか仲間内で私のあだ名はマラゴンと呼ばれる様になった。

丁度スピリチュアルな活動を手探りながら始めようとしていた時期だったので、堅苦しい屋号で活動するよりは少し夢のある屋号で始めたいと思い、マラゴンを文字って、マラゴニア王国と言う名前を思い付いた。

それから心境が変わり一線を退いた事は前半でも触れているので、改めては書かない。

しかしながらこのチグハグな名称で書き進んでしまったので、気にせず続けて行こうと思っている。

 

 

自立を美化しない方が良い

前の記事でも触れたが、自立と言える状態は根本的に有り得ない。

だから自立を美化しない方が良い。

もし強大な依存先がありそれで安定しているのなら、無理に予備を探す必要もない。

ある時突然それが失われる時が来るかも知れないが、それで一挙に何もかもが無くなってしまうと言う事でもないだろう。

助け船は意外とやって来るもんだし、大概は自分の思い込みを見直せば良い解決策が見つかる物なのだ。

例えば突然リストラになった。(職場も強大な依存先だ。)

会社と言う依存先は無くなっただろうが、預貯金はある。

失業保険がある。

家族がいる。

友人がいる。

副業がある。

などなど、依存先は幾らでもある。

そう一番大切な事は、自立だとか依存だとか色々考えない事。

ただ依存先が少なく且つ脆弱ならば、やっぱり前の記事の様に、普段から依存先をいっぱい持つように心掛けるのがベターだろう。