生き方の多様性
日本は自由度の高いお国柄だと思っていたが、果たしてそうだろうか?
大人になって、誰かと知り合う。
まずお互い何者かを問う時、必ずと言ってよい程聞くのは、「お仕事何をなさっているんですか?」だ。
人物を、職業で全て判断する帰来がある。
相手がどう言う職業をしているのかが、重要な判断基準になっている。
もちろん身に付けているファッションや言葉遣い、そして醸し出される雰囲気も加味されているだろうが、職業程の決定力はない。
更に言えば、経済力のあるなしが相手を測る基準になっている。
職業を問うのは、その経済力を推し測るのに都合が良いのだ。
果たしてそんな基準でしか人を知ろうとしない文化に、明日があるだろうか?
ニュースなどで人物を紹介する際、職業不詳とか無職などわざわざ掻立てるが、そう言う物差しを広く行き渡せる感覚が私には奇異に感じる。
無職でも、その人が多趣味な人かも知れないし、とても愛情深い人かも知れない。
しかし無職と言う一言で、誰かを印象付ける手法は、実は物凄い人権無視な表現ではないかと私は考える。
私はまず相手を知ろうとする時、趣味や興味のある事柄を問うようにしている。
その方が楽しくないか?
具体的な趣味がなくても、何か好きな事柄は誰だって持っている。
中には恥ずかしい関心事かも知れないが、それはもっと親しくなってからだって良い。
生き方の多様性、私はそんな感覚が普通になればと祈るばかりだ。