解らなくて良いのだ
カウンリングを学び終えその学校で教わる事全てを習得したが、私はまだ闇の中にいた。
心理学では、私が抱えている問題は解決出来ない。
その後失意の数年を過ごし、辿り着いたのはスピリチュアル世界だった。
新たなる希望を胸に、この世界に私は掛けた。
しかしこれも残念ながら、私の納得出来る答えを示してはくれなかった。
カウンリングを学び始めた頃、開口一番に言われた事は、『周りを変える事は出来ない、変えられるのは自分だけだ』だった。
確かに周り、つまり身近な人や社会を変える事は難しいが、自分自身なら努力すれば変えられる、そう思うからこそ心理学やスピリチュアルを探究しようと言う気になる訳だ。
しかしスピリチュアルにも絶望した私が気付いた事は、もっと根本的な事だった。
周りを変える事は難しい、しかし私自身もまた変える事が難しい、だった。
いや、そもそも変える事が出来るのかと言う疑問と、変える必要があるのかと言う疑問が出てきた。
古今東西、心の疑問に答えを指し示してくれそうな教えはご満とある。
しかしそのどれもが、決定打に欠ける。
その根本にあるのは、それをキチンと理解しさえすれば私が変わり引いては世界を変えられるからと説くからだ。
しかし実は何も変えられないし、変える必要もない。
だからその様な教えを探究する事は、余り意味を持たない。
それでも探究したいなら、探究すれば良い。
その先にあるもの。
考えて答えの出るものでないと思うだろう。
結局よく解らなくなる。
それで良いのだ。